2010年3月20日土曜日

O君に贈る言葉、あるいは、上にのぼりたければ routine work がすべての鍵。

ガラにもなく、若い子に OJT のようなコトをしてしまいました…
私のところに来る前よりは彼の力もついて自信も持って仕事に取り組めるようになってくれたようなので何よりです。

そんな彼に贈ったコトバを、ここにも揚げておきます。

ルーチンワークを日々こなすことの目的・効果:
ルーチン・ワークを日々こなしておくと、担当している (あるいは参加している) チームの成果物が連携しあった結果としてどのような機能や目的を満たすことになるのか?ということを理解しその現状を把握しておくことができる。
また、担当チームの成果物を構成要素としている開発/作業対象システムが全体としてどのような要求や目的を適えようとしているのか?や、その要求をどこまで達成できているのか?についても概ねのところを把握できるようになる。


作業プロセス全体の現状とあるべき姿が把握できるようになるので、目下の問題・課題とその解決のために自分 (あるいはチーム) に不足している周辺情報・知識を洗い出せる。
不足している情報と知識をチーム内外に求め、それをチーム内で共有し、課題の解決のアクションをどのようにとっていけばよいか?を計画できる。


チーム外部の情報源にも解決への道筋を示す有益な情報やヒントすら見当たらない場合には、「その課題は、未だ、誰も解決していない問題だ」ということになり、その解決を担当チームの現有能力だけで解決できたならば「真の意味での貢献をした」とアピールできる (であろう)。
そのような「稀な問題」を早めに見つけ出し、それに取り組むためのリソース (情報・知識・ヒト・カネ・モノ・政治的な調整など) を獲得できるだけの「説得力のある提議・提案」を行うことができるようになる。


OJT - Wikipedia

2010年2月28日日曜日

ブル-オーシャン戦略は beggar になることを他人に奨めるだけの愚策だろう。




「ブルーオーシャン戦略」とは、「カネ・時間・人材を失うかもしれないリスクを負ってでも、大事なことだけに専念したい (そして、そんな残虐行為を実行するだけの強度の高い意志があるか、そんな稀有な事情にある) 者」にとってだけ利益のある「価値観や思想の序列化」でしかない。

そもそも、「一度はじまってしまえば過剰なものになるに決まっている“競争”」が「人間という概念」が誕生してから一貫して振興されてつづけたのは、その騒動に異なる役割をもって社会の成員が関わることが「提供サイドにとってコスト超過になるまで優れた機能・安全性・頑健性を追求することが、提供サイド・消費サイドそして社会機能のすべてにとって対価や利便性の向上を速やかに達成できる」からなのであった。
(そうでなければ、数百年にもわたって大衆が資本主義を支持してきたコトを正当化できなくなる)

「大事なことに専念するために、それ以外の価値尺度にまつわるイザコザ・雑音・干渉・擾乱から自分を守ってくれる"盾”」を欲しがるのは、「自分の都合にとって大事なことに専念し、たんなる統計処理を大量に実行することでは飛躍できないあらたな概念・ありかたを創造するチカラ(それをだれもがもっている知能というのだがね)」は、提供サイドとしてエスタブリッシュしたものだけが行使するのが「間違いが少なく、フツウのもの皆は何もできない・しないでいられる安逸で平穏な世の中になる」という「愚かな夢」でしかない。

実際にあるべきは、「専念したいことがあるならば、それにだれもが専念できる」かつ「なにかしらに専念し知恵を得たのであれば、それを発見者・探索者に囲い込ませずに、皆が利用・受益できるものに速やかに社会化・公的なものにする」こと。

「レッドオーシャン」と揶揄することで「資本主義を永らく支持してきた大衆よりも、ちょっとマシな人間」であるかのように自己欺瞞するだけの「コトバ遊び」をしている連中が作りだす現実の社会は、
  民具のような具体的な「暮らし」に結びついた道具すら自分の手で作ることもできず、
  衣食住のすべてを「大事なことに専念しているナマケモノ・人類という種の不幸に鈍感なもの」たちが「大事でない・価値がすくない」として排出するゴミを代謝するだけの生き物
に大衆が変容してしまった「新手の腐った地方豪族の支配する狭隘な価値尺度の流布と徹底だけが公的に認められる地域ファシズム領域」に動的に分割され続ける
  人間をガス室に送ることはしないが、支配階層・意志実行者たちの「暮らし」に大衆を含めることは決して起こらない
  前近代に踏みとどまったまま、近現代の利便性だけは貪った支配・被支配どちらにしても beggar でしかない社会構造を正当化する「歪んだユートピア」運動
でしかないのだ。

たかがゲーム機市場での販売戦略だの15分1000円の床屋フランチャイズだの、低予算労働力が量産しても一定の安全性と機能性を満たせるように生産計画・設計・教育・管理すればいいだけの「知的能力において、さして高い能力は必要とされない事例」を根拠に「タワゴト」を喧伝するのはヤメにしてもらいたい。

レッドにしろブルーにしろ、いずれも「都会に住んでる田舎もの」が飛びつきがちな 20世紀の問題を超え出ていない「くだらない禅問答もどき」でしかないのだよ。

「碧い海」などという安手の観光地コマーシャルのような「ディストピアを生み出すだけの愚かなユートピア幻想」などよりもマシなのは、「資本主義」よりも速やかに、社会の構成員(既に存在している beggar なものたち (難民、経済破綻者、状況からの逃避者…) も含めた) すべてに「専念したいことに専念できるチカラを与え、その果実が公的な価値物として社会化する「意志/選択」能力の飛躍的な改良、人類種に物理的・生理的な変容を有無を言わせずに執行するテクノロジーを解放する
  人類 2.0 を創始する運動
のほうだろう。

(まぁ、こんなコトをココに書き込んだのも、「ブルーオーシャン」な夢物語に侵された若手達が、開発プロセスを破壊している現場を観察する機会があったからなんですがね…
システム開発の現実で起きている「愚かなアイデアの喧伝・流布とその顛末としてのコスト増大」という「ほぼ決定論的 (2/3 のシステム開発案件は失敗に終わる) に歩んでいくダメな過程」は、この国では 5 年もすれば社会全体に拡大した類似な失敗の連鎖の結果として顕れる「社会の病態」になりますし。
…オバマの "Yes, we can" やら日本の政権交代がもたらすだろう「負のことがら」を予見させる「今、そこで起きている事態」について記録する意味を込めて、ココに書き込んでおく)

ブルーオーシャン作戦では甘い。 - CROSSFIRE DBとコンパイラの日記
ブルー・オーシャン戦略 - Wikipedia
beggar の意味とは - 英和辞典 Weblio辞書
資本主義 - Wikipedia
Beggars in Spain - Wikipedia, the free encyclopedia

2009年7月7日火曜日

私が魅かれてきたものたち

私が魅かれてきたきたものたちをにしてみた。

2009年6月28日日曜日

数と量

最近、任意精度で演算をするルーチン実装したのだが、そこで人間が数と量について把握してきた歴史などについても考えさせられた。

初等的な数学を実行できるようになるには、おおよそ、次のようなステップを人間は必要としてきたといえるのだろう。

まずは、モノの個数や量の大小を表せる記号体系が自分達の間で通用するようになる。
あるいは、記号体系と自分の指やその生活環境で変わりにくいもの(月の満ち欠けや山の頂の数など)と「一対一対応」を発見する。

そして、空っぽであることやなくなってしまうということを量的に、ついで、「ない(空位)」ということを記号で表すことを発明する。
また、桁の数が、量的な拡大・縮小の感覚と正確に一致することも常識化していく。

量的な把握の感覚をもとにした「損得」や「困難さと容易さ」などの比較(力比べや勢力自慢)を、数の操作(演算体系)によって表現しなおすことで実態にともなったものにできることを見つけ出し、「統治と安寧」をより確かな(あるいは、窮屈な)ものにしていく。
また、桁数は変えずに数の操作で得られた「実態についての情報」を、量的な把握の感覚で捉えなおすために「概数と数の丸め(四捨五入など)」を利用するようになる。

数の操作により「ちょうど分けられる(公平性の起源)」「あまりがでる(余剰の占有と備蓄による権力構造の起源)」「ある状況が可能であるか否か(空集合と単位元、あるいは、真と偽)」などの概念と通念が、より確かなものとして承認されていく。

それぞれに承認された確からしさ・信頼というもの(税金の徴収や通貨の流通価値の保証など)が異なる集団同士での交換・交易・競争・戦争が起きるごとに、「有益であるか否か」「損害を与えられるか否か」を表す指標とそれらの相乗効果を把握することが必要になっていく。正負の定義である符号とそれが異なる数同士の操作を見つけ、そこにある「直交性・可換性・分配則・絶対値」などを定義づけていく。
いくつもの帝国や交易国家の勃興に伴い、これらの数の操作それ自体が持っている「性質」が見出され、「神話や伝承、過大な夢・希望」からはなれて「人間の能力や物理世界の制約」を見つめることができるようになっていく。

その一方で、量の感覚を数の操作で正確に扱えるように、また、数の操作の結果を量の感覚で捉えなおすために、数の操作に関わる「基本事項」を教育しその遵守を徹底させる必要も高まる。教育を家庭や地域の人間関係・商行為に付随するものではなく、公的財産として管理・運営するべきであることも確定していく。

数の操作と量の感覚の調律が進むほどに、数の操作それぞれに潜んでいる本質的な事柄に到達している手順・議論の組み立て方が大きな価値をもつということが認められる。また、そのような議論について、より高い正確さとより深い本質の探索を奨めるために、「公的な議論とそこでの結論の承認」にも権威が認められていく(公民会議や法治の独立)。

人間達と数のかかわりが、ここまでの変遷を辿ったことにより「我々の未来をどのように見積もればいいのか」「ある危険を犯すことは、どれだけの価値をもたらすのでなければ正当化されないのか」について「考える・求める」ことができるようになった。
つまりは、自然対数の発見と指数関数、そして実数範囲での冪乗と冪根をもちいた「解析的な数」の演算で把握される「我々のやっていることの変転とその果て」を見つけ出すことができるようになる。

これらの量と数についての「初等数学的な理解」の体系とその証明・検証を踏まえたうえで、
  民主的な政治上の議題 Isuue は、提出され議論されるべきである
と、なる。

金融恐慌による「大きな財政出動」とそれにともなう「長い間(多分、一世代まるごと)続く、負あるいはゼロ成長の時代」を行わなければならない時に、この国やアメリカでのさばっている「政治のようなものの議論」は、はるかに信頼に足らず検証もされていない、
  空理空論、未来に「負債と労苦」を担わせる判断を正しいと認識できない愚昧さ
ばかりである。
これは、極めて残念であり、まったく「人間を愚弄している」状況でしかないと考える。

「民主党」も「自民党」も「財界」も、初等数学的な理解の程度でいえば、まったくダメ。

アメリカにも日本にも(おそらくは中国にも)必要なのは、「検証と精確さの追求に耐えられる政治機械」として自らを差し出す覚悟のある「政治家」である。
また、それ以外に求められているのは、初等的数学を超え出た「高等的な数学ツール」を、人間のありように使いこなしていく「努力」でもある。

FYI: Wolfram MathWorld: The Web's Most Extensive Mathematics Resource

2008年5月25日日曜日

コードを話題にしないシステム屋さんは滅びなさい。

oreilly.co.jp -- Online Catalog: ビューティフルコード;

真っ当な技術者にって、この本は必読本です。

この本に竹内郁雄氏が推薦文を寄せており、その冒頭の言葉が振るっています。


「最近,プログラムのコードの話をするのは,ソフトウェアのなんたるかをわかっていないような言われ様をするようだが,コードの話をしないで,なにがソフトウェアかというのが筆者の強い思いである.プログラムを書いたことのないシステムエンジニアが威張っているような会社は早晩滅びる.」


しかり!そんな知能においてヘタれでしかない連中に給料ドロボウをさせている企業は、明日にでも滅びるべきであり、そんなところで鬱屈している真っ当な技術者はとっとと「勤め先を棄業」して「ソフトウェアの真髄を提供する職業集団・階級」を建てるべく行動していくのが「道 Tao」であろうと思います。

2008年2月23日土曜日

"Un homme et une femme"


(以下は某所に送ったモノの転記)

「わたしは、この花が見たいのよ」ケータイで蘭の展覧会HPを見せる女。
「へぇ、きれいだね」
「花なんて、興味ないんでしょう?」
「そんなことないよ。来週は、ソコに行こうよ」
「ホント?連れてってくれる?行こうね!約束よ」
…そんな風に始まる男と女もある。

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ゲノム研究により、現在の人類の先祖の家系はどれくらいの数だったのかについて判ったらしい。その値は、1000。これは、ある任意の動物種が絶滅するかどうかの境界線でもあるそうだ。おおよそ 7 万年前の氷河期、コーカサス地方に 2000人程度の男と女が生き残った。その子孫が、現在の 60 億人を超える人類なのだそうだ。
言ってみれば、人類は“生物種のリブート”を行ったことがある生き物ということになる。自分たち以外のすべての動物からは“容易くエサにできる軟弱な連中”でしかないと見なされた条件下で生き延びた男女の子孫、それが私たちなのだ。

この知見から、最古の文明で律令や戒律とされていた事柄は完全に敵対的な環境下で人類という動物が守ることができた最小限の「ルール・セット」だったのだろうという説が法律学者・社会学者から提出されはじめている。
「七つの大罪」であるとか「十戒」であるとか、どんな原始的な部族も共通に確立しているタブーなどは、「人類をリブートするには、これより多くても少なくても失敗に終わる」厳密な検証を加えられたルール・セットの形式を今に伝えているということらしい。

丸山真男という日本の思想家の言葉にもあるように「法はグッドネスではない」。法やルールは、自然も含めたすべての環境のデメリットに対処しその時々の状況で定まる適切なコストで得られるメリットのすべてを獲得する課題に対する“プラン・行動・結果評価そして利益配分を行うシステム”である社会を破綻させないための「コード」でしかない。

システム屋の実感としては、「コード」しかもシステム自体のリブートに関わるようなクリティカルなコードは「少なければ少ないほど正しい」。また、効率的で柔軟かつ頑健なシステムを構築する際にもっとも頼りになる指針は「KISS (Keep it simple, stupid!:バカみたいに簡単にしておく。ただし、バカになりすぎないように)」ということになる。

20世紀の終わりあたりから、私たちは、社会システム向けコードを無駄に増やしすぎてはいないだろうか?
「自然」と名がつけば人体にやさしいものだと勘違いしていたり、運用しきれないほどの監視・防衛装置を購入・設置できることが安全や治安を確保する能力の証明になるとか、同世代の子供より抜きん出て秀でた点がない子供にまで「一律な高水準の教育」を長期間にわたって与えることが国際競争力を育むであるとか…

生き物としての生存や繁栄には不要なほどの“極端な富豪”を自動的に産みだすことを可能にした「グローバル化された市場経済」というメカニズムを20世紀中に構築した私たち人類は、そろそろ、こんな質問に答えることを迫られているのだろう:
   『ところで、その極端な富を確保するワザを、いったいナニに使う気なんだい?』
多分、7万年前と同質でクリティカルな状況で、私たちは「最小限の必須コード」を見つけ出
さなければならなくなるだろう。しかも、私たちの生まれついての性向からして、その「コード 2.0」を KISS のココロで構築するのでなければ、運用も維持もできないだろう。

私たちの目の前で現実になってしまった、この21世紀が「人類2.0」構築工程の始まりであるのならば、上々な出来の成果を残せると期待したい。

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「一番、やわらかい肉はシャトゥーなんだね?…では、注文は以上だ!」
「…なんだか、あれだけじゃ悪いみたい」
「そうかい?じゃ、彼をもっとよろこばせよう!
 ギャルソン!……部屋を注文する」
……♪ダァバァダ ダバダバダ、ダバダバダ♪
(from “Un Homme et Une Femme”: a film by Claude Lelouch)

2007年11月4日日曜日

自死に至るまで…

仕事場で自殺者が出ました。氏の御冥福を祈ります。


…提供したソフトウェアを、それを使用することでユーザが被ったいかなる被害に対しも、
  “無保証 (NO WARRANTY)”
であることを提供側も使用者側も失念してしまう。それが、システム開発に携わるものが陥る“死にいたる錯誤”なのだ。

  ソフトウェア開発プロセスが創り出しているのは著作物なのであり、製造物ではない。

“自分が消えてしまう朝”を迎える前に、この原則を外れた“現場の上長の指示”だの“業界内や社内での商習慣と内規”など踏みにじれ!
そして、より優れた著作物を生み出す根拠を自分自身で見つけ出すのを楽しもう!
根拠が見つけられずに迂回や逃げを選んだとしても、それも“一つの解”だ。
“自死”という停止コードに対して、今の私が出せる対処方式はコレだけだ。

Happy Hacking!!


URL-s FYI:
  ・ITPro: 開発現場のメンタルヘルス~事例から考える傾向と対策~
  ・ITPro: メンタルヘルスの必須知識を身に付けよう
  ・ITPro: 部下の「心の病」への正しい対処法