
政治であれ、経済であれ、人生設計・家庭経営であれ、それが「プロジェクト」の形式を原理主義的に盲目的に受け入れてしまっているかぎり、それは「不幸を拡大再生産する」だろう。(画像の PDF 版)
私たち(つまらない存在ではじまり、そして、そのままで終わるだろう「すべての、わたくしたち」)には、三つの対応がありうるようだ。
(1) 人類を忘却し、種それぞれの孤独に帰っていく
(2) 人類は、いずれ、身体から頭を切り落とす
:=自らの存在理由を完全に、牧畜のいない家畜になる。
(3) 人類は、いずれ、頭が身体を振り捨てる
:=あらゆる知能の可能性を試行する存在・人類史を生体にしばられない純粋な進化プロセスに乗り換える。
(1) は、以下のようなものから示唆されているのだろう…
太陽系の運命・不可避的な崩壊過程に付き従う「すべての種」の終わりに従容する「思考停止=悟り」だけを「人類の成果」とする。
→ アジア的価値観・ニューエイジ的センスの「でたらめさ」「無意味さ」「無為・役立たずさ」=「平和しか知らない/戦争・災害を覚えておけない」ニヒリズム
(2) は、以下のようなものから示唆されているのだろう…
遺伝子を改変することで、そのようにしかなれない生き物として「最終安定版の人類」をリリースしてしまい、以後、なにひとつ変えない=「歴史的問題の最終解決・ホロコースト」
→ 技術的に可能であるし、先進国の99%はそのような扱いをすでに (19世紀から) されつづけていることには異議を決して唱えない。
→ 人文的な知性の「弱い合理性」=人類史数百万年は、「自己家畜化の歴史」という文化人類学などの「物言い・総括」のスタイル・知の形式。
(3) は、以下のようなものから示唆されているのだろう…
人間にしかできないことの(今は、わずかな)可能性を試行するのに必要な空間と時間が、この宇宙だけでは足りない。
→ 欠乏に対して「時空間」を生命のテンポよりコンパクトにする道を拓くことを考えられる・実現に取り組める「異様な賢さ」を徹底的に許容する「律法」を全世界に求めざるを得なくなる動き。
→ 「万能人」的な「強い合理性」=人類2.0や MAKE のような大規模な産業のもつ力能をパーソナルなものにして個体それぞれ自身・人為で覆った環境に「くりこみ可能」とするユニバーサルな立脚点を開発しているものたち。
…どうみても「強い合理性」に乗るのがベターだと思うし、それが「万民に受けいれらる」のを待つのは馬鹿げているという切迫感も嵩じているのだから、「万民の同意・馴致なし」で強行されるのだろうな…
「愛ゆえの罪」だろうか?「愛を誠実に実行しただけ」だろうか?
※ The Cultural Evolution of Words and Other Thinking Tools (D.C. Dennett) [PDF]
※ ダニエル・デネット - Wikipedia
※ Dan Dennett: Cute, sexy, sweet, funny | Video on TED.com
※ CUT 1999/03:スタニスワフ・レム『虚数』序にかえて ――生物としての限界をこえた自由のこと。
※ スタニスワフ・レム - Wikipedia
※ Susan Blackmore on memes and "temes" | Video on TED.com
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